金魚花火(煙火)のはなし
  

三河の伝統煙火として金魚花火が有名ですが、「三河煙火史」によれば、文政5年(1822年)に岡崎天王祭・菅生祭(現在の岡崎観光夏まつり)で初めて登場している。現在は鉾舟は2艘ですが、当時は8艘前後の鉾舟を菅生川(現・乙川)に浮かべて、船上よりの手筒花火と川の流れを火の流れと化してのこの大量の金魚花火が放たれたようです。
この金魚花火に一大変革をもたらしたのが明治4年(1871年)頃で、通称「研せん」と呼ばれた者が祐金町に住んでいた、彼は江戸で刀の研ぎ師であったが、煙火に精通し、金魚花火を改良して独特の水中煙火を作り出し、これを祐金町に伝授した。これが「錦魚煙火」で、その後100年以上に亘って、この技術は祐金町に伝えられた。当時技術の秘匿性は厳しく、煙火を打ち込んだ後で、ガワさえも他人に見られたく無く、若者が即座に水中に飛び込んでガワを集めたという。

現在の岡崎観光夏まつり
4年後には、この「研せん」は行方知れずとなり、岡崎市善立寺に碑が夫人によって建立されているとの事です。その後明治20年(1887年)頃、同じく祐金町に住む鈴木徳兵衛が洋式火薬・塩素酸カリを使用して、非常に光輝のある「銀魚煙火」を作った、その後しばらくして金魚花火の秘匿性も遂に破られ、岡崎市内・近隣・全国へと広まっていった。
                                                            <〜以上三河煙火史より抜粋引用>

本場三河の金魚花火(模型写真)

蒲郡市の加藤煙火(株)さんに取材と撮影のご協力を頂きまして有難う御座いました。
導火線に点火後、水中に投げ込むと、約5秒後に子パイプ(金魚)が18〜20本親パイプから飛び出し、水面を炎を噴きながら遊泳し、最後に小さなハネ火薬が音を発して終わる。
昔は子パイプは葦の茎を切って、中のウキは麦わらと綿を詰めたそうですが、現在は紙製でウキは発泡スチロールを使用との事でした。色は金・銀・紅・緑とカラフルな金魚が泳ぎ回る。最後のハネでは水面から飛び出す時にピチャとかわいい音を発するのが面白いですね。手投げタイプと地上よりパイプを打ち出すタイプがあります。

構造の概略図です


含有火薬量は約100g、玩具の打ち上げ花火でも10〜15gまでですから、結構ありますね。

金魚花火は現在でも各地の花火大会で定例もしくは不定期の出し物として見られます、最近は中国産金魚も多いようですが、三河産の国産金魚は下記の大会では見られますので、一度ご覧下さい。打ち上げ花火が主流となった現在では、かってのように川一面火の海という訳にはいきませんが、かって多くの観衆を魅了したというこの花火で遠い花火の歴史に思いを馳せてみては如何でしょう。


岡崎市・岡崎観光夏祭り花火大会(8月第一土曜日)--20000発の大花火大会・金魚花火発祥地
岡崎市・菅生町高岩弁財天(8月第三日曜日)--伝統の金魚花火打ち込み、打ち上げはありません
豊橋市・豊橋祇園祭り(7月第三土曜日)-----12000発の大花火大会
豊田市・旭町小渡・小渡天王祭り(8月15日)--小規模の花火大会
新城市・一鍬田天王まつり(8月第一日曜日)--水上での枠仕掛け、小型煙火、金魚花火
豊川市・国府夏まつり(7月最終日曜日)−音羽川河畔・打ち上げ花火・小型煙火・金魚は最近は不明
蒲郡市・三谷町夏まつり(松区−7月第三日曜日)(中区-7月第四土曜日)頃−手筒大会・金魚花火

岡崎観光夏まつり・鉾舟からの金魚花火の投げ込み




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