花火の歴史年表

 中部の花火情報館
元号 西暦 歴史背景と三河煙火 主な花火の歴史
天智 3年  664年 九州・壱岐・対馬に烽燧(ほうすい)を設置
承安 2年 1172年 源頼朝、吉田神社分社「天王社」を創る
文永11年 1274年 第一次蒙古襲来
弘安 3年 1280年 奈良・春日山で狼煙(のろし)が上がる・飛火野
弘安 4年 1281年 第二次蒙古襲来
長禄 元年 1457年 太田道潅江戸城築城・燃土の発見
応仁 元年 1467年 応仁の乱で狼煙や細川勢の火箭使用 応仁の乱起こる、太田道潅・火薬兵器
文明18年 1486年 太田道潅謀殺される
永正 7年 1510年 中国より鉄砲伝来(銅銃)
享禄 元年 1528年 堺で鉄砲製造の記録
永正 2年 1505年 牧野古白(牛久保城主)今川の命で吉田城築城
天文11年 1542年 第一次小豆坂の戦・松平家ノロシ使用
天文12年 1543年 今川義元吉田神社に田畑寄進 種子島に鉄砲伝来
天文14年 1545年 種子島ですでに鉄砲製造堺で鉄砲製造
天文15年 1546年 今川家吉田城に城代(小原鎮実)を置く
天文17年 1548年 第二次小豆坂の戦・松平家ノロシ使用
天文18年 1549年 信長・堺に鉄砲発注
天文20年 1551年 信長家督相続 大友宗麟・ポルトガルより大砲2門購入
天文22年 1553年 信長・道三会見時に鉄砲隊参加(100挺ほどか)
永禄 元年 1558年 三州吉田天王祭に花火登場
永禄 3年 1560年 三州吉田天王祭・手筒・流星・立物・綱火登場
  〃  〃 桶狭間の決戦、織田・徳川・今川とも鉄砲あり
永禄 4年 1561年 第4次川中島の決戦、武田のノロシ、上杉の鉄砲
永禄 5年 1562年 家康吉田城攻撃〜1565年(以後三河は徳川支配)
永禄 7年 1564年 信長犬山城攻略・鉄砲使用
永禄10年 1567年 大友宗麟硝石輸入独占を図る
元亀 元年 1570年 埼玉・吉田の龍勢がこの頃以降・<吉田町HP
元亀 3年 1572年 家康・信玄三方が原決戦、家康鉄砲隊配備
天正 元年 1573年 武田信玄野田城で負傷〜死亡
天正 3年 1575年 長篠の合戦(鉄砲大量使用1000挺) 水戸・水街道で松下流綱火
天正 6年 1578年 信長・ヤソ教徒より硝石購入
天正10年 1582年 信長・安土で噴出花火を出させる
天正13年 1585年 上杉勢・佐竹勢戦場で花火楽しむ
天正17年 1589年 伊達政宗・洋人の花火天覧
天正18年 1590年 家康・秀吉の命で江戸移封
文禄 元年 1592年 秀吉朝鮮出兵・文禄の役 前田利家・五箇山に焔硝製造所を設ける
慶長 2年 1597年 秀吉朝鮮出兵・慶長の役 京都でポルトガル人花火を天覧に供す
慶長 5年 1600年 関が原合戦・東西軍共ノロシ使用 京都でオランダ人花火を天覧に供す
慶長 6年 1601年 家康・三州吉田神社に30石寄進
慶長 7年 1602年 豊川進雄神社・城主水野、奉納花火を見る
慶長 8年 1603年 江戸幕府開府
慶長12年 1607年 家康・駿府城に隠居
慶長17年 1612年 足助神社に沢田四郎右衛門(稲留流の記述)
慶長18年 1613年 家康・駿府城で花火見学
慶長19年 1614年 大阪冬の陣
慶長20年 1615年 大阪夏の陣
元和 2年 1616年 駿府城で家康死去・三河鉄砲隊帰郷
元和 9年 1623年 家光・花火を奨励
正保 元年 1644年 江戸・家光・両国花火を許可
慶安 元年 1648年 江戸で花火禁止令・以後度々禁止令
慶安 3年 1650年 福岡・筑後川花火を有馬候始める・<久留米市HP
承安 2年 1653年 尾張藩に御手筒組設けられる
万治 2年 1659年 吉田天王祭奉納煙火この頃以降盛大になる 江戸で鍵屋が花火を始める
   〃   〃 水街道・大塚戸の綱火始まる水街道H
寛文 元年 1661年 豊川進雄神社で小笠原氏・綱火を再興
寛文 5年 1665年 江戸で花火禁止令
寛文 9年 1669年 江戸・将軍・家綱が江戸城で花火を楽しむ
元禄 2年 1689年 白川村で焔硝作り始まる
元禄 7年 1694年 兎足神社・神社本縁に花火記述
元禄13年 1700年 吉田神社立物の記録・巨大になる
正徳 2年 1712年 長野・飯田市効戸神社で煙火奉納(長野郷土史研究会)
元禄・享保 1688年〜 山梨・三重・この頃、神明の花火や熊野の花火始まる
享保 4年 1719年 新城市・富永神社「花火を隔年に」との達し
享保 5年 1720年 岐阜・爪切地蔵尊奉納煙火始まる(岐阜県HP
享保16年 1731年 長野・下伊那・清内路で奉納煙火始まる
享保18年 1733年 江戸・水神祭で両国花火・以後毎年開催
享保19年 1734年 静岡・新居の手筒花火始まる
宝暦 6年 1756年 長野・森煙火の記録(長野郷土史研究会)
明和 7年 1770年 岡崎新城主・花火禁止令 江戸浅草で花火打上げ
安永 3年 1774年 滋賀・近江八幡・篠田の花火始まる
安永 9年 1780年 長野・北信の稲荷山で煙火記録(長野郷土史研究会)
天明 5年 1785年 豊川・進雄神社「花火まつり」盛んになる
享和 2年 1802年 滝沢馬琴「奇旅漫録」で吉田の花火天下一と称す
文化 3年 1806年 越後・片貝で花火始まる記録
文化 6年 1809年 岡崎大矢川原(菅生川)で花火打上げ
文化 7年 1810年 鍵屋から玉屋が独立
文化13年 1816年 岡崎・福島で花火打上げ
文政 3年 1820年 岡崎・奥殿に熊野流花火始まる
文政 5年 1822年 岡崎・菅生天王祭で金魚花火出来る
文政 7年 1824年 長野・安茂里で久保寺煙火(長野郷土史研究会)
文政 8年 1825年 三河花火師「幸右衛門」長野須坂で袋物揚げる
文政 9年 1826年 稲留派良光流元祖「僧信道」死去
文政10年 1827年 武豊町・大足蛇祭始まる
天保11年 1840年 越後・長岡花火始まる
天保13年 1842年 長崎奉行より墓所での花火禁止令
天保14年 1843年 江戸・玉屋失火により追放される
天保15年 1844年 幸田町萩の立物花火の始まり
(弘化 元年) 1844年 「尾張名所図会」に清洲の花火紹介
弘化 3年 1846年 長野・妻科で竜星花火の記録(長野郷土史研究会)
元治 元年 1864年 豊橋・仙賀左十、長崎で洋式花火を学ぶ
明治 4年 1871年 「研せん」金魚花火を塩素酸カリで改良
明治 7年 1874年 三河「稲垣」・奈良「小山」家に初の火薬製造所の許可
明治10年 1877年 豊橋・平山甚太、横浜で花火打ち上げ
明治11年 1878年 長野・天皇・長野へ行幸、飯田の花火天覧に供す
明治12年 1879年 仙賀左十、東京靖国神社大祭で打ち上げ この頃、塩素酸カリが輸入される
明治13年 1880年 中根泰蔵・一光流伝授書が数多く出される
明治17年 1884年 火薬取締規則が制定交付される
明治20年 1887年 加藤小兵・最名流を起こす
明治23年 1890年 岡崎天満宮に花火を揚げる
明治24年 1891年 越後・片貝で初の3尺玉揚がる
明治43年 1910年 長野から出品の18号玉、岡崎で揚がる
大正 3年 1914年 東京の大博覧会に「有川屋」出品
大正12年 1923年 愛知県煙火組合が全国に先駆けて設立
大正15年 1926年 越後・長岡で初の3尺玉揚がる
昭和 3年 1928年 長野・青木儀作・八重芯を完成
昭和 5年 1930年 吉浜煙火・2尺昇り三段を打ち揚げる
昭和15年 全国煙火連合会設立
昭和16年 1941年 第二次世界大戦の為、花火禁止さる
昭和20年 1945年 終戦
昭和28年 1953年 岡崎矢作川で3尺玉打ち揚げる
昭和29年 1954年 岡崎で2尺玉全国コンクール開催される
昭和37年 1962年 日本煙火協会設立される
昭和60年 1985年 越後・片貝で世界初4尺玉揚がる


本表は「三河煙火史」「花火ものがたり」「煙火の栞」「三河の花火」「長野郷土史研究会機関誌・長野」「豊川進雄神社」「小坂井町史」「挙母祭りと山車」「新城歴史ばなし」「岡崎市史」「奥殿陣屋のすべて」を参考に記載してあります。公的ホームページより参考のものは当該HPにリンクを貼っていますのでご参照下さい。花火の歴史は年代が古くなるほど、史実の信憑性が薄れていきます、又記載違いがあるかも知れませんので、参考程度にご覧下さい。

年表から想像できるのは、鉄砲伝来以前にも蒙古襲来以降の南宋より伝来されたであろう初期の火薬による花火の発生はあったと想像されます。しかし確実な歴史である種子島の鉄砲伝来がわが国の火薬の歴史に大変革をもたらし、たちまちの内に全国に普及した鉄砲火薬による鉄砲衆・火術家による遊びとしての花火も発生、そして駿府城での家康の花火見学はこれほど確実な史実は無いというほどの歴史事実であり、後の御三家となる「義直宰相・尾張藩主」「頼宣中将・紀州藩主」「頼房少将・水戸藩主」も同席にて見学し、後の御三家花火の基礎となったようですし、家康の指示により花火研究を命じられたであろう稲富一夢(1611年駿府で死去)弟子の三河鉄砲隊も家康の1616年死去とともに警護の役を解かれ地元に帰り三河花火の基礎ともなった事等多くの事がこの件により想像されます。

当初の花火は三河・江戸・水戸あたりに古い記録が存在するようです、駿河の地元でも当然伝えられたであろうし、三河では城主の保護のもと、主に天王まつり(祇園まつり)での厄除け奉納煙火として天王信仰の広がりとともに広範囲に拡った事が史実で明らかです。奉納煙火が三河から伝わったという話が各地にあり、綱火・手筒・大筒・枠仕掛け・火車・流星等花火の基礎となる花火は三河が主要な発祥地域であったようです。
九州は有馬の殿様が鉄砲・花火に古くから取り組み、長崎は出島での西洋花火技術を三河からも花火師達がよく研究に行ったようです。
これらの花火は元禄年間に進歩してゆき、文化・文政時代に一大発展を遂げ、明治12年頃の塩素酸カリの輸入とともに今日の鮮やかな色彩の花火が登場、そして明治・大正・昭和と今日の発展に引き継がれて来ました。文化文政時代以降は花火に関する記述も多く、きりがありませんので、要点のみの記載に留めてあります。



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